西宮市の中立FPが語る、サッカー少年がFPとして独立するまで

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ご挨拶|西宮市の中立FP「ことねFPオフィス」の 今村です

こんにちは、西宮市のことねFPオフィス代表、ファイナンシャルプランナーの今村元気(いまむらもとき)です。2025年5月、39歳で独立し、FPとしての道を本格的に歩み始めました。

このページでは、僕がなぜファイナンシャルプランナーという仕事を選んだのか、そしてどんな思いで今この仕事をしているのかを、少し長くなりますが、赤裸々に綴らせてください。

サッカー漬けだった学生時代、会計との出会い

僕の人生は、大学に入るまで本当にサッカー一筋でした。
そんな僕が大学で出会ったのが、「会計」という世界です。

きっかけは単純でした。

「公認会計士になれたら、ちょっとかっこいいかも」

でも勉強を重ねるうちに、もっと深い疑問が湧いてきたんです。

  • 「自分の給料ってどこから出てるの?」
  • 「会社の業績や財務って、なぜみんな知らないんだろう?」

社会の仕組みを知るには、まず数字からだ。
そう確信して、僕は日商簿記の勉強にのめり込みました。
授業よりも、図書館と勉強の日々でした。

「就職活動をしない」という選択がもたらしたもの

就活の季節。みんなが黒髪に戻し、スーツを着てエントリーシートに向かう中、僕は一人、勉強を続けていました。

「どこに就職するの?」と聞いても、みんな具体的に答えられない。
それでも飛び込むその覚悟は、今思えばすごいことです。

でも僕は、

「よく分からない企業に、自分の人生を預けるのが怖かった」

それよりも、専門知識があれば、自分の足で生きていけると思っていたんです。
でも、その“信念”が、のちに大きな現実の壁となって立ちはだかります。

大卒・日商簿記1級でも就職できない。非正規の現実

卒業後、僕は就職せず、さらに勉強を続けました。
この時点で日商簿記1級は持っていました。

でも、現実は厳しかった。

  • 「未経験の経理はいらない」
  • 「経理は女性のパートで十分」
  • 「就活してないなんて甘いね」
  • 「新卒じゃないと難しいよ」

…そんな言葉を何度も聞きました。
「自分の会社でもないのに偉そうに」というのが若い私の本音でした。

面接で浴びたのは、アドバイスではなく“説教”のような言葉ばかり。
面接の度に「令和の虎」の番組ような状況でした。別に出資お願いしているわけでもないのに。

皆は就職したり結婚したりしていて、その時の結婚式などに呼ばれると立場がなかったです。

自意識が強かった時期でもありますね。


僕の人間性ではなく、「立場」で判断される悔しさに打ちのめされました。

唯一受かった仕事は、生協の配達員。
しかし、半年ほどで心身が限界に達しました。

朝起き上がれない
胸が苦しい
仕事に行けない

心療内科では「うつ病」と診断されました。

「サッカー部で鍛えたはずの自分が、なんでこんなことで…」
そう思っては自分を責め、さらに追い込まれていきました。

僕を変えたアマゾンジャパンでの7年半

その後も職を転々とし、転機は2016年。
アマゾンジャパンで働き始めたときです。

ここでは、成果を出せば正当に評価される環境がありました。

上司も仲間も、僕を「一人の人間」として見てくれた。
おかげで正社員として評価していただき働き続けることができました。

途中で福岡から兵庫への異動も経験しましたが、そこで体調を崩し退職。
それでも、ここでの経験が、僕の「再出発」の土台になったのは間違いありません。

その後、株式会社MonotaROで1年間アルバイト勤務。
社員登用には至りませんでしたが、その頃既に、副業としてFPや株式投資の勉強・発信を始めていました。

そして、あるとき思ったんです。

「ずっとバイトなら自分で期限を決めてチャレンジしたい」
「人に喜ばれて、自分の経験が活きる仕事がしたい」

その想いが日々強くなり、2025年5月、
僕はファイナンシャルプランナーとして独立する決断をしました。

金融機関で働いた経験はゼロ。でも「お金の学び歴」は10年以上

保険会社にも、銀行にも勤めたことはありません。
けれど、僕がお金に関心を持ち始めたのは2008年
FP3級を取得したのは2012年。もう10年以上、ずっと「お金の世界」に惹かれて生きてきました。

だからこそ、お金のことで悩む人の気持ちが、わかるつもりです。
「プロだけど、元初心者」として、寄り添いたいと思っています。

「お金の勉強って、けっこう裏切らないんです」

世の中、平等ではありません。
学歴があっても、資格があっても、人生がうまくいくとは限らない。
でも――

お金の知識を身につけ、納得して使えるようになると、
人生は劇的に楽しくなる。

これは、僕が身をもって実感してきたことです。

「知らない」ことを責めず、「わかるまで一緒に」寄り添うFPに

僕はADHDという特性を持っています。
忘れ物が多かったり、話し出したら止まらなかったり。
でも、そんな自分を否定せず、「強み」として活かすと決めました。

だからこそ、僕は「知らない」を責めないFPでありたい。

  • 「なんでそんなことも知らないの?」とは絶対に言いません。
  • 「大丈夫、今から一緒に知っていきましょう」と言える存在でありたい。

僕の今の生活は、2年分の生活費を用意したうえでの“挑戦”です。
もし上手くいかなければ、また働けばいい。
でも、「挑戦しなかった後悔」だけはしたくなかったんです。

今はFPとして、心からこの仕事に誇りを持ってやっています。


最後に「真っ当に生きる人が、損をしない社会」に貢献したい

僕が伝えたいのは、ただのマネー知識ではありません。

  • ぼったくり商品にだまされない力
  • 難しい言葉に丸め込まれない力
  • 立場に関係なく、正当に評価される力

そういった「人生を守る力」を、お金の教育を通じて届けたい。

面接で僕を笑ったおじさんたちを、正面から見返したい。
でもそれ以上に、「次の世代が同じ思いをしない社会をつくりたい。」

それが、僕がこの仕事を続ける原動力です。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

お金に不安がある方、人生を立て直したい方、
「このままでいいのかな」と悩んでいる方がいたら、ぜひ気軽に声をかけてください。

西宮の小さなオフィスから、
「頑張る人が報われる社会」を目指して、今日も発信を続けていきます。

これからも、よろしくお願いいたします。


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